もしあなたが、理解されない病気になったら?

ブログご無沙汰しています。

プレシャスライフ・ナビゲーターの佳世です。

 

今日は、ちょっといつもと違う投稿なので、
「病気ネタはいいわ〜」「重いのはイヤ」な方は、
どうぞこのまま閉じてください。

 

今週金曜日、5月12日は Action for ME/CFS Day
筋痛性脳髄膜炎(慢性疲労症候群)を知ってもらう日です。

プロフィールでは、私が「慢性疲労症候群」だって、チラっと書いていますが、
この病気のことについて、記事を書いたりしていませんでした。

 

書けませんでした。

 

その理由は3つ。

 

1つ目は、人に希望を持ってもらうコーチング、綺麗なものを作るデザイナーという立場を考えると、
病気のネガティブな表現は、マイナスにしかならないんじゃないか?

 

2つ目は、私にとっては辛すぎる出来事だったので、もう一度その時の気持ちを感じることの負担が大きいこと。

 

最後は、誤解を招くことを恐れていました。
「慢性疲労症候群」で苦しんでいる人たちは、身体の辛さを理解されず「怠けてるだけ」「心の問題」と言った、その実態からは遠くかけ離れた<偏見>の中で、痛みと暮らしています。

私みたいに「マネージメントして仕事しています」と言うことで、
「ほら!できるじゃん!」と周りから言われて、辛い思いをされる人が居たらどうしよう。

 

書こうか、書くまいか。
ずっと頭にあったことです。

 

でも、暗闇の中で居たころの私にとって、
だれかの体験記は一番の希望だったし、
どんなに小さな情報も「良くなる」可能性があれば、
それはお宝でした。

 

そして、周りに<理解してくれる人がいる>ことの
言葉では言い表せないほどの心強さ。

 

他の患者さんへの<理解者>が少しでも増えれば嬉しいし、
広く言えば、「なかなか理解されない」状況にいる人への<何か>になるなら、
書けない理由は、もう手放してしまおうと思っています。

 

そして何より、私が書いてみたくなったから。
もし、色々な誤解や偏見が生まれても、
それはそれでいいし、そこから何かが始まるかもしれない。

 

だから、Action for ME/CFS day の今週。
体調が許す限り、私の「慢性疲労症候群」について少しずつ書いてみようと思います。

 

 

今でこそ
「やりたくても出来ない人の気持ちに寄り添って」
なんて言っていますが、

以前の私は「出来ない人の気持ちはワカラン!」と豪語する
イヤ〜な女でした。

信じられますか?(笑

出来ないのは、
「怠けている」か「自分に甘いか」「自分を諦めちゃってるか」でしょ!
なんて本気で思っていました。

どんだけ、偉そうなん!って感じでしょ?(笑

でもね、
こうやって自分の力を信じて前に進むことで、
その時々の「問題」を解決して、道を切り開いてきたんです。

 

 

「あの日」までは。

 

いつものように、少し働きすぎて
いつものような熱風邪だと思っていたら、40℃の熱が下がらなくなり、
ある朝、とつぜん呼吸ができなくなり救急へ運ばれました。

 

病院であれこれ検査をして
「特に悪いところはありません」と言われ、
迎えにきてくれた母と実家へと戻りました。

 

その日から、私の身体は動かなくなりました。

 

頑張ればなんでもできた私は
何もできない、お荷物な私。

自分の身体に何が起こっているのか?

 

お医者さんは、どこも悪くないというのに、
こんなに熱が続いて、ビクっと勝手に身体が動くほどの痛みがあちこちに起こって、
頭はボ〜ッとして何も考えられない。
親しい人の名前は出てくるのに、顔が思い浮かばない・・・

 

道ゆく人が話す小さな声や、カーテンから漏れる光でさえ、
耐えられないほど過敏になって。
身体に布が擦れるのさえ、痛くてたまらないんです。

 

痛み止めを飲んでも、痛みはおさまらず、
抗うつ剤を飲んでも、頭は晴れず・・・

 

この日から、私が「慢性疲労症候群」という
偏見と誤解に満ちた病気になってしまったとわかるまで、
1年以上の月日を要しました。

それでも、診断してもらった日のことは、
今でも鮮明に覚えています。

 

嬉しくて、嬉しくて、
涙が止まりませんでした。

 

 

どんな病気であっても良い、
この症状は、私が勝手に頭の中で作り出したイマジネーションではない。
誰かが、私のいうことを信じてくれた。
私のこの身体に起こっていることを、真剣に聞いてくれる人がいた!

 

それが嬉しくて、
原因も治療法もないし、難病特定もされてないということでさえ、
その時の私には気になりませんでした。

 

けれど、のちのち「よくわからない」病気への無理解に直面するんです。

 

今ではメディアで取り上げられたり、
日本でも診断できる医療機関は増えていると言うけれど
専門医でない限りまともに取り合って貰えないことも。

 

私も、過去何度か経験があります。

 

症状が出て救急で運ばれた時など
「持病は?」と聞かれ
「慢性疲労症候群です」と答えると、
「ふん。そんなものは存在しないよ。馬鹿馬鹿しい」と失笑されたことも。

 

最先端の研究では、少しずつメカニズムも解明されて来て、
アメリカで正式な「疾患」として認定されています。
日本の大学病院も、脳に炎症が起きていることを突き止めています。

 

それでも、現場の医療従事者に情報が届くのって、もっと先のことなのか、
こんな悲しい対応をされることは、ほんとよくあります。

 

このことは「普通のお医者さん」には黙っておこう。
面倒なだけ。と諦めに似た気持ちを持っています。

 

身体を診る者が、身体の不調を訴えている人を「存在しない者」として扱うこと。
自分たちの教科書でカテゴライズされていないものは、「ないモノ」としてあしらうことに、恐怖と失望と怒りを覚えました。

 

知らなくても良い、耳を傾けてほしい。
治療法がなくても良い、一緒に模索してほしい。
そう思っている人は多いのじゃないでしょうか?

 

せめて、否定はしないでほしい。
それが医療システムに身を置くものの最低限の務めではないかなと思うのです。

 

「慢性疲労症候群」は、直接死に至る病気ではありませんが、
平均寿命は長くありません。
免疫が弱いので、感染症など他の病気で命を落とすこともありますが、
自ら人生を閉じる患者さんも多くいます。

 

身体の辛さもあるけど、
理解されないことへの孤独と絶望感からだと思います。

 

愛する人が目の前で苦しんでいたら、
たとえそれが、病気であろうがなかろうが、
理解できなくてもいいい。
黙って手を握ってあげてほしい。

 

それだけで、救われる命がたくさんあると思うのです。

 

同じ慢性疲労症候群を発症したJennifer BreaのTED talk
「もし医者では診断できない病に倒れたら?」
ぜひご覧らください。
聡明なJenniferが、「診断」の問題について話しています。

 

 

そして次回は、
こんな「大変だー!」アピールしちゃってる私が、
のんきにゴールドコーストへ来た話をしたいと思います。